37年後の同窓会に思う 甘酸っぱかったり情けなかったり

つい先日、高校時代の同窓会に参加させていただいた。
不義理で薄情な管理人は毎年開かれている同窓会にまったく参加せずにいた。
それはいくつか理由があって、それを乗り越える勇気が無かったからだった。
だが最近管理人は自分の生き方を振り返る機会が多く、なんてつまんない人間なのだろうと少々落ち込んでいたのだ。
そんな時、高校の同窓会の案内が舞い込み、返事を保留していた。
しかし人生とは面白いもので同級生から直接電話をいただき背中を押されたのだ。
そんな事を書いてみた。

37年振りの同窓会

考えてみれば不義理の連続の管理人の人生

管理人は高校を卒業してから35年以上も経過している。
管理人はこれまで自分自身で頑張って忙しい忙しいと思い続けてきた。
そして実際のところ忙しかった。

電話会社に在籍していた頃はモバイルの創生期だったこともあり、毎日終電で帰る生活が続いていた。
だが休みには子供たちと自転車競技でレースを転戦する充実した日々を送っていた。
その後は子供たちが独立し、管理人自身の仕事も変わり、環境が大きく変わった。
大きな組織に属していたころは組織自体に勢いもあり、組織という看板もあり自分の実力を勘違いしていたこともあった。

そして忙しいことを理由に様々なことに対して不義理をしてきたと思う。
今回のお話しの高校の同窓会もその一つだと思っている。

恩師にもお会い出来ていないし、恩師の中にはお亡くなりになった方もあるが葬儀に参列もしていない。
まったく不義理な人生を過ごしている。

いろんな事が同時に起こった高校時代

管理人が高校生活を過ごしていた間は、管理人にとって様々なことが次々と起こった時期だった。
1年生は受験失敗による余波を引きずっていた。
2年生は充実していた、スポーツの面白さに目覚めて楽しい時間を過ごした。

3年生は受験のこともあり一言で言うと暗い時代だった。
同級生ともざまざまなことで揉めたことも多かった。
管理人はこの感覚を今でも引きずっていて同窓会に参加することに積極的ではなかった。
そんなことで恩師にもご挨拶もお礼を言うこともできていなかった。

不義理を少し挽回、甘酸っぱいことも…

同窓会に参加させていただいて、最初はまったく誰かわからない人も多くいたが慣れてくると徐々に思い出してきた。
卒業以来、1度だけ大きな同窓会に参加した事があるが、それ以来となるのでたぶん20年くらいだろう。
その時に会わなかった人はきっと37年ぶりだったりする。
いろんなテーブルを回ってまんべんなくお話しをすることができたのは楽しかった。
それに最初はぎこちなかったのだが、周りが受け入れてくれてスムーズにお話しできたのがありがたかった。

一番気になっていた3年間お世話になった恩師ともお話しすることができて何か大きなつかえが取れたような気がした。
今回、同窓会に参加させていただいた理由の一つをなんとか達成し、もう思い残すことはない気分だ。

話は変わるが管理人は今も昔も女性は大好きだ。
同窓会でも気になる女性は何人かいる。
その中のお一人とお話しすることができてたいへんうれしかった。
一番うれしかったのはその方の感性が当時と変わっていない、正確には当時と同じ方向だったことだ。
当時はあまり目立たない静かな人だったが、今ではその感性の上に社交性が加わって皆の人気者なのがうれしい。
二人で当時のことを思い出してみたが二人とも記憶がハッキリしない、でもこれはこのままで良いだろうと思った。

頭が下がる思い

毎年開かれているこの同窓会に管理人は今回20年ぶりに初めて参加させていただいた(卒業してからは37年振りだ)。
つまり事務局や幹事の方は20年間も同級生に案内のはがきを出して、会場の手配をして、実際に運営してという事を毎年されているわけだ。

毎年はがきが来ているのに返事を出さない管理人は大いに不義理などうしようもないやつだと痛感した。
しかも管理人はまだ地元に住んでいるにもかかわらずだ。
同窓会に参加した方の中にはこのために遠方から駆けつけている人もいる。
こうした地道な活動には感謝してもしきれない。
何度も電話で誘ってくれることにも感謝してもしきれないと思った。

管理人はITの世界では良い年になってきたので若い人に様々なことを伝えたいと思って実行している。
また別ブログでは読んでくれる人に役に立つように長年の蓄積を余さず出していこうと思い書いている。
でも今回同窓会で感じたのは同窓会という仲間のために一所懸命に動く方々の事が印象的で頭が下がる。
管理人自身が人のためにこうした事をできていないのが情けないと思った。

管理人の場合、高校卒業からすでに37年経過するのにまだまだ人付き合いが下手で精神的に成長していないようだ…。

今回はこのへんで
では