寿司職人議論に思う ホリエモンの言い分にも一理はあるがバカ呼ばわりはあかん

寿司職人は「飯炊き3年握り8年」と一般的に言われるそうだ。
ホリエモンはこれに対してバカと言い捨てる。
この件について考えてみた。

表現は悪いが言い得て妙なところ

日本では保守的な古来のやり方をヨシとするところがある。
伝統のある技術に関してはやり方を守る、悪い言い方をすれば変えようとしない。
つまり冒険を恐れたやり方だ。

伝統というのは紙一重

歴史があるというのは2面性を持つと思う。
一つは良いモノを伝えるのは厳しく統制が必要だという事。
もう一つは変化しようとする努力を怠ってしまう事。

これらは2面性を持っており真逆の関係だ。

伝統の中にも攻めの姿勢は必要だ

外から見ると分からないだけなのかもしれないが伝統を守るという事の中にも攻めの姿勢を持つことができないといけないと思う。
現在の状態や地位に安住してしまうと進歩が無くなる。
そうなると不幸だ。

体で覚えるという事もある

話を元に戻すとホリエモンは寿司職人になるのは「飯炊き3年握り8年」では長いと言っている。
確かに管理人も長いと思う。
昔ながらのやり方では無く体得するための工程を現代的にアレンジする必要がある。
いつの時代にもその時代に合わせたスピード感が必要だからだ。

しかしそうできない部分もある。
例えば寿司を握る手のひらはある程度の期間を経てすし飯を握る手になってくる。
具体的に言うと手のひらがひんやりとしてシットリしてくる。
こうした寿司を握るための手のひらになるためにはそれ相応の期間が必要だ。
最低でも1年程度は必要なのではなかろうか。
この部分はセンスだけではできない部分でもある。

何年という事では無くセンスも含めた実力次第だろう

誤解してもらっては困るのだが実力次第という事の中には様々な要素を含んでいる。
様々な寿司を作るための技術、心構え、経営面等々、それに前述の体が慣れるという事も含んでだ。

その人その人で身に付けないといけない事を吸収する期間は異なるだろう。
それにその人の体が変化するというか適応する期間も必要だ。
それを親方が見極めれば良いだけの事だろう。

バカ呼ばわりはあかん

自ら人間性を落とす言い方だと思う。
そんな奴はアホちゃうかと思う(苦笑)。

今回はこのへんで
では