日本語にしかない単語とか表現手段そして日本人の生きる道

管理人は最近日本人というか日本文化を見直している。
というのはどう考えても日本人の感性が繊細だという事なのだ。
これはどういった所から来ているのだろうか?
などとツラツラと考えてみたのだった。

日本語にしかない言葉

日本語の単語が世界進出している事がままある。
例えば柔道の「IPPON」だったり食べ物の「SUSHI」だったり元は日本語なのだが世界で通用する表現だ。

最近では「MOTTAINAI」なんかも世界で使われているがこれはモノでは無くて感情を表す言葉だ。
このモノでは無くて感情や心の動きを表すことが世界に進出するというのは日本文化の新たな局面に入ったのではないかと思うのだ。

こうした単語がピックアップされていのだが「もったいない」以外には「せつない」「わびさび」「一人称」「初心」というものだった。
この中で一人称がこんなにたくさんあるのは日本語だけなんだそうだ。
確かに「私」と言ったり「僕」と言ったり「俺」だったり多種多様な一人称がある。
他の言語には見られない多様な一人称があるらしい。

日本にしかない色彩

色彩の世界も日本独特の色がたくさんある。
管理人が良く見るのは「原色大辞典」とうサイトがあってココに和色大辞典というページがある。

デジタルで表現するとカラーコードになるがうまく表現されていると思う。
このサイトの色もここを参考にさせていただいている。
例えば赤い部分は「朱・緋あけ」と言う名前の「#ba2636」、緑の部分は「青碧せいへき」という名前の「#478384」である。

ここでは色彩を例に出したが色彩に限らず五感に関する事はすべてこうなっているのだろうと思う。

日本文化の中庸という事

日本人は中庸を重要視すると随分前から世界中で言われてきた。
ビジネスでもすぐに結論を付けないで曖昧模糊とした結論に導くと言われてきた。

実はこうした考え方のバックボーンにはこうした他の言語では表せない感情というか感性と言うかそういったものが関係しているのかもしれない。
非常にはっきりした白か黒というような結論では無くもっと繊細な結論だ。
関係する当事者の事を全て考慮したうえでの中庸なのかもしれない。

結果を出すという事についても直接的にお金がこれだけ儲かるという尺度では無く別の尺度でも見る。
例えば社会貢献だったり人を育てる事だったり文化の火を消さないという事だったり様々なのだ。

きっと物差しの目盛が細かいのだろうと思った。

日本を知るには歴史を勉強せねばならぬ

管理人は日本の古代史が大好きだ。
これと関連して神道や仏教にたいしても大変興味がある。
また民俗学と言う近代に確立されているジャンルにも大いに興味がある。

日本人のこの感覚や考え方というのは長い歴史の中で醸成されたものだ。
現代の日本人は気づいていないかもしれないがそうした基礎の上に成り立っている。
この基礎の事を知らずしてこれから向かう方向なんて分かるはずがないと思う。

さらに最近では生活が近代化し過ぎたために伝承が途絶えているのが心配なのだ。
日本人が営々と築き上げてきた文化が近代で途切れ始めている。

毒キノコのお話し

管理人がこうした伝承のお話の例として良く引っ張り出すのが毒キノコのお話だ。
太古の昔から自然のモノを口にしてきた日本人。
これには当然成功も失敗もある。失敗が意味するのは死だ。

キノコを食べて誰かが具合が悪くなったり死んだりすると当然それを伝承として伝えていくだろう。
このキノコは食べてはいけないという風に。
現代でも一部残っているこうした伝承は長い歴史の中で犠牲の上に成り立っているノウハウなのだ。
こうした事を軽視する事はそれこそもったいないお話しなのだ。

もっと日本人を知らねばならぬ。
最近では外国人の方が日本に詳しいほどだ。
世界に誇れる日本をもっと知ることが必要だ。

今回はこのへんで
では