noteに見るコンテンツ有料化の波は無料コンテンツを提供するという流れが変わったようだ

    2016/02/16

最近noteの話題がやたらと多い。
これは様々な問題点と観点が含まれていて実に奥が深いと思う。
こうしてコンテンツを提供する側とユーザーとして読む側の両面から見てみると実に面白いのだ。

note-toha

元々インターネット上のコンテンツはどこから始まったのか?

インターネットが普及し出した時(管理人の場合は90年代終わり頃)にそれまで雑誌や書籍で購入するしかなかった情報が無料で手に入るようになり便利で安くなったと感心したものだ。
ただインターネット上の情報ってどこのだれか分からん人が親切にも情報をサーバーにアップしているモノで内容に関しては自己責任で吟味するという事が必要だ。
これは基本的に今でも変わらない。

この衝撃は大きなモノだった。
もちろん最初はどうしようもない情報も多く(当初はこれがほとんど)役に立たない事が多かった。
いずれにしても雑誌や書籍を購入して情報を得ていたものが無料で手に入るのは大きかった。

そうこうしているうちにブログメディアが登場しより多くの人が簡単に情報発信をできるような仕組みが整備されてきた。
これによりますます雑誌や書籍を買うという行為は少なくなっていったわけだ。

この時の考え方は情報は無料で流通するというもので雑誌や書籍を購入する事に対してアンチな考え方だった。
ソフトウェアの世界で言えばオープンソースのような感じだと思う。
だからこそインターネット上のビジネスモデルが広告中心に変わってしまったのだ。

最近では検索エンジンの精度が向上した。
つまり有用な情報に対して正当な評価が付くようになりゴミのような情報は相対的に目に入らないようになった。
ある種のフィルター効果だ。

また見る側の目も肥えてきている。
ある意味無料だからというあいまいさや甘えは評価を落とすようになったと思う。

コンテンツを提供する側の気持ち

コンテンツを提供する人たちは何で生活しているのだろう。
なんらかの稼ぎを実現しなければリアル世界では生活できないのは明白なのだ。

そのひとつの形が自分のブログ運営でなんらかの収益を生む形にするという事だ。
具体的には広告だろうしアフリエイトだろう。

もっと直接的に考えればこうして書いているコンテンツそのものを貨幣価値に直接置き換えるという事も一つの方法だ。

だがこの方式は今までは非常に敷居の高いものだった。
普通の人は自分の書いた文章なりが雑誌や書籍や有名サイトに掲載される機会はそう多くは無いと思うのだ。
だからnoteのように従来の自費出版のような形でユーザーに直接対価を求めるという仕組みは画期的だと思う。
簡単に言ってしまえば皆が自費出版をする事が出来るようになったという事だ。
それもほとんど元手の掛からないという形なのだ。

こうして時間を使ってコンテンツを書いているのだからお金に変えて行きたいと思うのはコンテンツ提供側の自然な気持ちだと思う。

コンテンツを購入する側の気持ち

一方コンテンツを購入する側に立つとどうなのだろうか。
最近はメルマガ、有料記事、noteのようなインターネット上の有料媒体のオンパレードだ。
管理人の大好きな車の記事もこの傾向がますます強くなった。
ちょっと読んでみたいなと思う記事もあるが価格に辟易する。
記事単価が200円や300円もするのだ、これなら雑誌を買った方が安いだろう。
しかもそれが外れだったら目も当てられないのだ。

さらにnoteのように敷居が下がった事でかつてのインターネット上にコンテンツが溢れた時と似た状況がある。
というのは誰でも彼でも自分のコンテンツに価格を付けることができるからだ。
雑誌や書籍なら多くの人の目にフィルタリングされた結果なのだがnoteの場合これが全く無い。
つまりカスを引いてしまう事が多くなる。
それだけに書店で書籍を吟味するような目利きが見る側に必要になる。

もっと気になるのは流行と言うだけに自分のブログで数記事だけ書いた人がnoteにコンテンツを上げる時代だ。
金儲けが悪い事とは言わないがせめてユーザーにとって無料で読めるブログで記事をたくさん書いてファンを作ってからnoteを上げるようにしなけりゃあかんだろうと思う。
こんなんユーザーをバカにしているとしか思えない。

だからインターネット上の無料コンテンツに比較して有料コンテンツが面白いなんてことには全くならない。

最近管理人は専門的な分野は新書版の書籍を週に1冊くらい購入する事が多い。
自分で吟味して選んで1冊700円程度で手に入るのだ。
カスみたいな記事1本に200円とか300円を支払う余裕は無いのだった。

それにいつでも修正できる記事コンテンツなんてどうなのだ?と思う。
そんな記事はダウンロードや開いたタイミングで異なるモノが出てくるのだ。
これじゃお金を支払ったユーザーにとっては不公平だろう。
しっかり沢山の人のフィルタリングを通して校正がされたコンテンツとその質に違いがあるのは明らかだ。

形は変わったがコンテンツは有料であるという事だ

noteを見る目には様々な観点があると思う。

だが原点に回帰して考えてみるとコンテンツはやはり有料であるという事だと思う。
インターネットの最初の頃のコンテンツは無料で手に入るものというのは幻想だったという事だと思う。

一方オープンソースはどうなんだ?という事もある。
こちらはオープンソースを利用した次の段階で収益化するというビジネスモデルがある。
これに対してコンテンツについてはこうした考え方はちょっとそぐわないことが多いと思う。
そうなるとひとつひとつ確実にお金に変えるという段取りが必要だろう。

そういう意味ではコンテンツの格付けが始まるかもしれない。
例えば
noteのような誰もフィルタリングしない校正しないコンテンツはCランク
編集者が付いて校正済の記事がBランク
書籍のような校正済で修正不可なコンテンツはAランクとか。

コンテンツを読む側にもこうしたことを考える必要のある時代になった。

今回はこのへんで
では

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