パワースポットという言葉は嫌いだ いただくのではなくて感謝じゃないかと思う

玉置神社の玉石社

最近、パワースポットという言葉がよく出てくるのだが、これに対して感じることがある。
管理人はパワースポットという言葉は大嫌いだ。
そこへ行きさえすれば、パワーがもらえるなんて非常に都合の良いお話しで一方的だと思う。
最近のそういった風潮には辟易する。
そんな事を書いてみた。

長い長い歴史の中のいわく付きの場所がパワースポットなのか?

パワースポットと世の中で言われて久しい。
なぜ、こういった言い方をするようになったのだろうか?

昔から神社仏閣等では、荘厳な印象を受ける場所や、凛として空気が張り詰めた場所が存在する。
管理人が思うに、そうした場所というのは昔々の人々が鋭く感じ取り、その結果、神社仏閣等が建立される場合がほとんどだ。
やはり、そうした場所というのは確実に存在していて、その働きかけを受け手によっては感じ取ることができると思う。

たいがいの場合は、そうした場所はいわく付きのストーリーがあり、暗い過去を持っているものだ。
日本の神々は驚くことに、怨念を封じ込めるための神格化が古代から続いている。
昔の人々が一番恐れたのは、非業の死を遂げた人が怨霊となることを一番恐れていた。

かの菅原道真もその一人だ。
その菅原道真が祟ることが無いように、神として祀ったのが北野天満宮というわけだ。
これは典型的な御霊信仰で、日本人にはこの考え方が今でも根底にあると思う。

こうした大きな力を持った、神や場所やものというのは、そうなった理由があるものだ。
その背景や歴史を知らずに、パワースポットと言われているということだけで訪れるのは少し失礼ではないかと思う。

パワースポットの多くはキチンと維持管理されている

巷でパワースポットと呼ばれている場所は、神社仏閣が多いようだ。
管理人が思うに、急にパワースポットと呼ばれる場所に行っても、簡単に「気」をいただける事は無いだろう。

こうした多くのパワースポットと呼ばれる場所は、キチンと維持管理をされている方々がいる。
そうした方々は、長い年月その神や場所やものを信仰し、奉仕されてきた。
だから、今日我々はそうした場所を目にすることができるのだと思う。

こうした事を忘れて、そこへ行きさえすればすぐに、何かご利益(ごりやく)を受けることができたりすることは無いだろう。
まずは、感謝の気持ちがなくてはならない。

今回はこのへんで
では

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